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日本のしかも名古屋からコンスタントに才能あふれる女子のスケーターが次々と巣立っている。ズバリ、山田コーチの存在が非常に大きいと思うのですが、ご本人はどう分析されますか?

山田:そうなのよね。今は伊藤みどりのときみたいに一人だけではなく、わりと数がいてひとかたまりで上手になっていっている感じですね。別に秘訣というものは何もないのですが、みどりちゃんの影響が大きいのか大きくないのかよくわからない(笑)だけども、「伊藤みどりを育てた先生」ということで集まってきているというのではないと思う。自分で考えてみて、ちょっと威張ってるようで変なのですけれども、やっぱり長い積み重ねの実績かなと思う。

伊藤みどりや大島淳、その次に小岩井久美子、で恩田美栄とやっているうちに私のスケートの持って行き方とか生き方とか、いろんなことで付いてきてくれる人が増えたかなって思う。伊藤みどりが出たときは「私もみどりちゃんのようになりたい」と言って習いに来てくれた人はそんなにいなかったし、能力がある子が集まってきたわけでもない。今の方がたくさん習いに集まってきてくれるようになりましたね。

例えば、どの先生でも5人しか生徒がいないと5人の中でなんとか作っていかないといけないけれども、たくさんいるとその中で優秀な選手がでてくる。たまたま今の状況は習いにきてくれる人が大勢いるので、みんなで切磋琢磨しながら伸びていってるのかなと思う。いい意味ですぐとなりにライバルがいて伸びている。

みどりの時には私の考え方では逆にそばに誰もいなくてよかったのではないかなと思っていました。みどりちゃんが練習しているときに「有香ちゃんやジュンジュンたちはもうこんなことやっているらしいよ」とかうわさを聞いてハッパをかけてました。実際目に見えちゃったら「何言ってるの、先生。あの子だって遊んでるじゃないの」というのがあるから、「目にみえない相手を追いかける」ほうがいいと思っていました。だけど今は逆に目に見える相手でみんなで競り合いながら伸びてきていると思います。



浅田真央ちゃんの才能は伊藤みどり以上という発言について。どの点が伊藤みどりより優れていて、どういう点が真央ちゃんの課題なのですか?

山田:みどりちゃんはやっぱり「ジャンプ力」というのをずば抜けて持っていた。やっぱり「天才肌」っていうのか気性も激しくってやる時はやるけれども、やらない時はやらないという私たちコーチとしては非常に持っていきにくいタイプ(笑)だったわけです。表現力は今ひとつだったかもしれないけれども、ジャンプ力が素晴らしく、「トリプルアクセル」というジャンプの高さで「東洋人」というか「日本人」というか「伊藤みどり」という「存在」を大きくしたと思います。

 真央ちゃんの場合はみどりちゃんのように天才的にずば抜けたジャンプ力があるわけでもない。それを言うんだったらまだ恩田美栄の方がジャンプ力はあるかもしれません。でもフィギュアスケートってみどりちゃんのジャンプの高さが必ずいるわけじゃなくって、例えばそんなにジャンプが高くなくてもきれいに滑る人もいるし、難しいジャンプを飛べる人もいる。そこから考えると真央ちゃんはジャンプも平均以上の力は持っていると思う。

 それから伊藤みどりになかった「上品さ」さが、体から湧き出てくる品のいいスケーターです。みどりちゃんは美栄ちゃんと一緒で「踊る」ということがあまり得意ではなくて「ジャンプさえ飛べれば私は勝てるよ」という感じでアマチュアの時は進んでいたと思うんです、彼女が。私は違うんですけど(笑)。でも真央ちゃんの場合は踊ることも好きだと思うんです。私たちが「こんな風に表現してほしい」と思ったことがわりと素直に取り入れてもらえる。

 それとみどりちゃんも美栄もそうですけど体がものすごく固い。だからケガも多いし、やはりスパイラルとかレイバックスピンとか女子の美しさを出す部分が不得意な部分がたくさんあったと思う。しかし真央ちゃんの場合はビールマンスピンもできるくらいの体ですので体も柔らかい。だからフィギュアスケートの必要な要素をどれだけがずば抜けているというのではなくて平均以上のものを均等に持ち合わせている。うちの選手の中ではそういう選手が非常に少なかった。

 世間では山田先生は「ジャンプを教える先生」、佐藤先生は「フットワークを教える先生」とされていますけれども、私も決してジャンプを教えてるだけが好きじゃなく、表現力のある美しいスケートもさせたかった。しかしなかなかそういう選手にめぐり合わなかった。だからそう意味ではほんとに初めて「フィギュアスケートをやったらいいなあ」と思う子にめぐり会えた。

 だから私はすごく楽しみにしてるし、大切に育てていきたい。「どこまで行けるのかな。この子は。」と今は胸がワクワクします。それが伊藤みどりのワクワクとは違うはじめて「フィギュアスケートを出せるかな」という感じですね、真央に関しては。また性格も、みどりも美栄も変わり者です。友加里はものすごくまじめだけれども負けん気の強い女の子です。そう思うと真央は性格も素直だしすごくいい。

 それだけに試合にはあんまり強くない。試合前になると「頑張らなきゃ」という思いが強すぎて、全日本ジュニアの時出る前にもう泣いちゃった(笑)「自分でできるかしら」という不安、緊張が目の先まで来てしまって「大丈夫です」と言ってるけど涙出してるのね。なのでいつも試合では実力どおりに出せたことがないです。

 そこがあの子の性格のいいところでもあり、課題でもある。これから私が一番難しくなるのはそこかなーと思ってます。でも私の大好きな性格。全日本で3アクセルを決まったときなど私の方に「ワァー」って感じで笑顔を見せてくれたけど、表現も素直です。



選手たちを指導するとき、どのような気持ちを大事にして教えていますか?

山田:私が最初にスケートを教えていたときは一生懸命頑張って全日本などに出しても、やっぱり「東京の人はなんて素敵なの。なんとなく品がいい。コスチュームだって一つ違うじゃない。」と思って、東京に人に一人でも勝ちたいと思って教えてました。

 ですから世界のトップと勝負するなんて考えもしなかった。それが段々いい選手がでてきて、勉強するチャンスもあって世界の人達と対等に戦えるようになってきたわけだけれども私はもとの「名古屋」、そして世界から見れば「東洋人、日本人」っていうのを出していって強くなれる。

  ですから東京の真似をしていたって、アメリカの真似をしたって勝てない。私たちのところは私たち独自で名古屋ならではのもので頑張っていく、いくら上手になっても、有名になってもそれを忘れたらやはり私たちではないのではないのかなーと思って育てています。

  やっぱり礼儀正しくとかいうのはきっちり言いますよ。フィギュアスケートが一位をとっても「あの人すごい意地悪なのよね」って言われるより5位でも6位でも「あの人、いい人だったよね」とか「きれいだったよね」と言われる選手を私は作りたいと思っています。

 しつけの方が私は厳しいかな。ようするに生意気だったり、反抗期の時代に先生に対しての受け答えがよそ向いて「フーン」とやっているような子がいると「ちょっと待った。今の受け答えはないでしょ。私はあなたより年上でしかも先生でしょ。もう少しきっちりしてほしいわ。」というのははっきり言います。

  また「体がきつくても『はい』は言えなくても首を頷くか振るぐらいのことはできるんじゃないの。首振ってくれたらどこがわからないのかと聞いてもう一回説明したいと思うし、ディスカッションしたいと思うので。」と言います。ですから私が一方的に押し付けるのではなく常に選手とお互いに話し合ってやってますね。

ただ小さい子はまだ自分がわからないからがなかなか発言ができないかもしれないですけど・・・。スケートをやるっていうのはほんと人生80年の中の20歳すぎまでの人生の一駒で、スケートをやった後の人生の方が長いわけです。でもこの20年で人間ってすごい作り上げられるし、すごい心に残ることが多いと思うのでこの生き方は大事にしなきゃいけない。だから私はジャンプが飛べないからとかリンクに来なかったからということで怒ることはまずないです。生き方の注意の方が多いですね。

 そういうことをきっちりしておけば、リンクに上がってもいちおうシャキっとすると思う。ですからリンクの上でも汚れたセーターや破れた手袋じゃなくて安くてもいいから洗って、繕っていれば姿勢も正せると思うのです。

 例えばお洋服でもそうですけどお洒落とかして街にでるとうきうきして自然に姿勢も良くなっていく。寝間着とか着るとダラーっとなったりするじゃないですか。リンクでも同じことで身なりなどきっちりしておけば自然に練習する意欲も沸くので、みんなでそういう環境をつくりたいと思っています。

  個人競技だけれどもいいグループを作っていけばみんなが楽しく青春時代を過ごしていく。もちろんうまくいくときばっかりじゃないですけれども、「楽しい」ということはスケートも自分なりに上手くいくことが多い。という生き方を教えながらスケートを教えています。

東京は都会すぎて大勢選手がいるし、大学になってからコーチを変わるという選手もいます。しかしうちはそういうパターンとは違って小さい頃からずっと一緒に泣いたり笑ったりしているのでスケートの技術だけではなくスケートを通じて人生をつくりあげることができる。それを大事に思って指導してます。



名古屋ならではのスケートの良さというのはどういうものでしょうか?

山田:やっぱりねー。名古屋もやはり地方だと思うんです。ファッションにしたってそうだけれどもやはり東京が最先端ですよね。でもすごい田舎というわけではない。小さい都会というか(笑)。田舎もんでもないし、都会ものでもない良さでしょうね。

 例えば昔東京には品川プリンスホテルにリンクがありましたけど、みんな、ママ達は外車で送り迎えをし、子供たちが滑っている間はホテルでお茶をするような環境だった。それに比べて、ここは大須観音が近くにあり東京で言えば浅草のようなところで、みんなリンクまで自転車で通ってきていた。今は随分この辺もきれいになりましたが、昔はすぐ下にはたこ焼き屋などの出店が並んでいて、お母さん達が「先生、下でたこ焼き買ってきたから食べる?」というような環境でした。

 そこから私達は生まれてきた、その強さというものがあると思います。そういうのが決してフィギュアスケートのふさわしいものとは思わないです。でもなんていうのかな。そこから私たちは生まれてきた。そういう下町だったり、ど根性だったり・・・。その強さで私たち東洋人は忘れないで勝っていくべきではないかなというのが私の考え方です。



どうしてグランプリ東海クラブから世界でも稀なトリプルアクセラーが次々と育っているのか?先生自身のトルプルアクセルへの思いいれ等あるでしょうか?

山田:思い入れ!?ないない(笑)。3-3にしてもそうですけれども、「3ルッツまでいったら次は何?」って感じで、例えばスリージャンプ行ったら、次サルコーみたいなそんな感じですよ。今世界中の人達で3ルッツまで飛ベない人なんていないじゃないですか。予選落ちしている人でもみんな飛んでますよ。

結局確率の問題だけで、確率の悪い人が予選に落ちていくのだけれど。そうすると子供達はおさらいというのも大事ですけど「新しいものを向かっていきたい」という気持ちがあると思うんです。新しいものをやりだせば、また元気が沸いてくる。毎日ワンパターンの練習するより刺激があって楽しいと思う。

例えばプログラムの曲だって新しい曲をもらった時は頑張ろうという気になるじゃないですか。それと同じです。みんながトリプルアクセルを特別みたいに言うのですけど、全然そんな事はない。3回転ジャンプを全部マスターしたら次は3回転半でしょと。それを私達がやっているだけであって、世界中で練習では挑戦している人がたくさんいると思うんです。しかし世界の先生方がまだそれほど必要性を感じてなかった。

みどりちゃんの時もそうでしたけど、カタリナ・ビットが2、3種類くらいの3回転ジャンプで優勝しているときに、名古屋で私たちは「次飛べたから次、次」という感じでルッツまで5種類の3回転ジャンプを飛んだ。そしたら世界のみんなが驚いた。(笑)

でも今考えたらごく自然のことでしょ。だから私たちは今も自然なことをやっているだけで、多分世界中の先生がやっているけれども、それをプログラムに入れたりすることをそれほど重要視しないで他のことに集中していた。

しかしこうやって名古屋からトリプルアクセルや4回転をやる選手がでてきて、これで一気にほんとに一年一年トリノ五輪までにはそういう時代がすぐ女子にも来ると思います。みんな世界の先生もいろんな面でしかけていて、それが「おっ、もう遅れをとった」というのでもうグッと進むと思います。

進むと今度、日本人ってのはちょっと弱いんです(笑)どのスポーツもそうなんですけど日本人は先行くんですけども、それがまた世界がくーっと上がってきたときにはまた遅れをとるから日本人は常に先行していかないと周りと同じことをしていたのでは勝てないと思います。だからトリプルアクセルや4回転というのは私は特別な流れとは思ってないんです。

3ルッツまでのジャンプでもちろん高さも空中での姿勢、ランディング、確率も必要で、それをやっていくことも大切です。でもそればっかりではやはり詰まってくるもあって次へステップアップというところで、たまたま3ルッツまでできる子がたくさんいて、トリプルアクセルをやっている。そうすると一人が回転不足でもなんとか降りだすと、他の子もそれを見て「私も降りたい」という気になって、やはりみんなが競り合って降りることができるようになったのだと思います。



トリプルアクセルを飛んでいる選手たちは先生の薦めではじめたわけではなく、自らの意志でトリプルアクセルの練習をし始めたということでしょうか?

山田:うちはもうほんとに自然体なんです。友加里ちゃんも一時トリプルアクセルの練習を辞めていました。そのときもトリプルアクセルの練習をやるときも自分で決めた。辞めるときも友加里が「先生、やはりトリプルアクセルはすごいプレッシャーがあって他のものもミスをしてしまうので一年間は練習辞めたい」と言うので辞めた。またシニアに上がるということで自分は他の選手に比べて特別に何かができるわけではない。そうすると「トリプルアクセルを飛んでシニアの大会に出たい」ということでトリプルアクセルの練習をした始めたわけです。

美栄ちゃんの場合はどうしてやったかというと連盟強化コーチの城田さんからの薦め(笑)。「これだけ高く飛べるんだったら、美栄にトリプルアクセル飛ばせなさいよ」といわれて「じゃ、やろうか」という感じになったわけです。みどりちゃんの場合もそうです。

昔は世界選手権のあとエキジビションツアーがあって、そこで男子の選手たちがみんなトリプルアクセルをバンバン飛んでる。それで「先生やっぱりあれ飛びたい」とみどりちゃんの方から言ってきた。そういうことでうちは練習も何もかも本人まかせです。

それで私が後ろからアドバイスしている。だからうちは毎日練習に来ないから怒るということは何もないです。レッスンの時間も決まっているわけでもなくて、私が座ってて気がつけば言うという感じです。だけど一生懸命やっていない子は注意しない。先生に見てもらおうと思ったら頑張ってないと見てもらえない。だからみんな頑張ってる(笑)わけです。

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回転も真央ちゃんもルッツまで全部練習していますよ。もちろん私も「やってみたら」とは言っているけれども「自分でやりたい」と言って始めました。友加里は「トゥループとサルコーどちらから飛ぼうか迷っているんですよね」といってきて、「トゥループとサルコーのどちらから始めてもいいし、両方でもいいし、どうする?」という状態です。で美栄ちゃんに「どうする?」って聞いたら「いや、私はそこまでは。」というので「そうだね。」みたいな感じです(笑)。だからよく周りの人から「山田先生、こわい、こわい」って言われるけれどもそんなにこわくないですよ (笑)



伊藤みどりさんの影響っていうのはあるのでしょうか?

山田:私に関しては全然ないです。子供達はどう思っているかは知りませんが。「みどりちゃんが飛んだから私も飛びたい。」とか思ってるかはわかりません。



また具体的に選手たちにどういう練習をするよう心がけているのでしょうか?

山田:今の子たちにはすごくよく練習しますね。うちはママ達もリンクサイドによく来て教えています。先生によってはママ達がいるのが「うっとうしい」と思う人もいるかもしれないのですけれども、私はママ達に助けてもらいたいと思っているので、ママ達がリンクサイドに立つのは全然かまわないと思っています。

美栄なんかでも美栄のママは全然わかってないんだけど(笑)、ジャンプ転んだら真っ先にママのところ寄っていってるもの。それでママが「こう」とか言うと、また本人も「フン」とか頷いてるのよ(笑)。友加里もそう。ママ達は「先生、間違ったこと子供に教えたらどうしましょう。」とか心配しているんだけど、「大丈夫、また私が直すから」言ってるんです。

結局私は何が言いたいかというと、25人の生徒かかえていると、一人の子がジャンプが飛べても違う子をレッスンしていたら見ていないわけです。そうするとママは自分の子供だけ見ているから、ジャンプを飛べたときに「わあー。」とか言って拍手してくれるかもしれないし、転んだら「残念だったね。」と子供に言ってくれるかもしれない。やっぱり見てくれる人がいると子供達もやりがいがあると思うんです。

だからやっぱりママも時間がある方は見に来て、一緒にやりたい人はやればいいと思う。うちのママ達はすごいですよー。(笑)いつも試合に出る度に上手になっていく子がいるのね。私がその子のママに「ママありがとう。上手になったわ。」って言っているの(笑)。

逆にママ達が熱心なので私が「休みをつくりなさい」とか「靴をはかない気分転換の日が必要じゃない?」とか「ケガをしたらちゃんと休まないとダメ。」と言います。だからよそから移ってきた子は特に「そういう先生とは思わなかった」と言いますね。私のこともっと「すごい先生」と思っていたみたい(笑)。それだけにママ達もひっくるめてみんなで一緒に頑張っている。それを私が後押ししているという感じです。

親子でよく揉めているのでその仲裁に私が入っているという感じかな(笑)今は貸切の曲かけは小さい子は級の順番にかけていますが、大きい子(ジュニア以上)は申告制にして自分たちのかけてほしい時に言うようにしています。だから何かジャンプとかにこだわってちーっともかけに来ない時もあるし、飛べないのにすぐに「お願いします」と曲かけに来るときもあります。私の命令じゃなく、その時その時に応じて自分たちが思っている練習をさせたい。

例えば「今日は疲れているからジャンプ以外のことに重点をおいて練習したい。」と思っているときに無理矢理ジャンプのレッスンをしたっていい結果が現れないじゃないですか。しかし、自主性に任せて「ジャンプはできないけど他の面を集中して練習する」と思って練習しているのを私がフォローすればいい結果につながりますね。やっぱりそれにはみんなが「何かの形で頑張りた い。」という環境は作りたいとは思っています。みんながたるんでるんじゃねー(笑)誰も言ってこないから。



そのみんなが「頑張りたい」という気にさせる環境作りの秘訣は何でしょう?

山田:うーん!?例えば私が体調が悪くて「うーん」と元気なく見てれば子供も頑張らないのよ。だからいつも元気で、例えば子供がスリージャンプ初めて成功したら「うわあー!」って体全体で表現して喜んであげる。そうするとただ「よかったよ」と平然と言うのと違って、その子もすごく喜んで「あ、もう一回」と思ってまたスリージャンプを飛ぶのね。

あと小さい子供達に「ひざを屈伸して足首使って、キュッとあがるのよ」と言うより「ウェっと!!上がりなさい」と下にかがんで大きくジャンプするようにゼスチャーして見せればその方が高く飛ぶし、子供のやる気も違う。 だから私がいつもハイで「自分が楽しく、頑張ろう!」と思っていれば、子供達に自然に通じると思う。だからうちの子供たちは貸切でも「先生に見てもらいたい。ほめてもらいたい。」と思ってやっていると思う。

「えー。今日は曲かけするの。」という否定的な気持ちではなく「曲かけで何か飛べたら先生に喜ぶんじゃないかなー」と思って、それが楽しみでやっていると思う。あとはさきほどお話しした生徒たちとのディスカッション。そして遊ぶときにはみんなで思い切り遊ぶ。

昨日も愛知県民大会のあと生徒と親御さんと連れて40人ほどしゃぶしゃぶ屋に行って一緒に騒いできました(笑)だけどいったんリンクに上がったら「今日は先生よ。私は。」というけじめだけはつけています。やっぱり先生の心意気とか、思いで環境って変わってくると思います。学校でも悪い友達と一緒になったら悪くなっちゃうでしょう(笑)、環境って。やっぱり環境って大事だと思うので、一生懸命「環境を良くしよう」とは心がけています。

だから私のところはママ達とも仲がいいし、「山田ファミリー」と言われるように家族的ですよ。選手本人以外にママや家族を全部ひっくるめて愛しているから。私は独身の先生よりも結婚もして子供も育てているのでお母さんの気持ちもわかるし、家庭の大事さもわかるし、自分の子供だったらどうだってこともわかるとは思う。今はおばあちゃんの気持ちもわかっちゃうけどね(笑)。

普通の生き方をしてきたので、いろんな事がよくわかるかなとは思う。だから東京だったら先生の数が多くて自分本位に勝手にスケートを教える事はできないと思いますが、都会でもない田舎でもない名古屋だったら私のやりたいスケートを教えられることができる。私の好きなグループを作ることができるということかな。今までほんと時の流れに身を任せてあまり無理なくいけたかなとは思います。

ですから生徒にもいつも言います。「遠い先を見ないで」と。「私はオリンピックに目指すの」とかでなくてもっと小さい積み重ねからです。もちろん遠い将来を夢みて進むのもいいかもしれないけれどもそこばかり見ていると疲れちゃう。それが全日本の5番なのか愛知県大会の20番なのか世界選手権の5番なのかはわからないけれども、「自分でできる範囲内のことを少しずつやっていこうよ」というのが私の考え方で、目標が手の届きそうなところにあるからみんな頑張れるのではないかと思います。

<取材を終えて>
正直に言うと山田先生のインタビューを行う前、かなり緊張して、びびっていた。山田先生とは面識もあり、ユニバーシアードなども一緒に行ったことがあるのだが、それでもやはりなんとなくこわそうで「すごい先生」というイメージがあった。
しかし、いざインタビューが始まって話してみると、おてもざっくばらんにフレンドリーに話してくださり、とても内容の濃い楽しいインタビューとなった。
取材中も山田先生はまさしく「山田ファミリー」のお母さん的存在。先生をクラブ員+父兄全員が慕っている。取材中も小さい子やお 母さん達にもやさしく声をかけている姿が見られた。
貸切中、各選手のご父兄たちがズラーっとリンクサイドに並んで自分の子供達を見ているという風景を見てびっくりした。というのは私が見てきた、他のリンクではあまりない光景だったからである。でもそこにじめじめとした雰囲気は全くなく、親子ともどもみんな明るく前向きに練習に取り組んでおり、とても活気にあふれていた。
山田先生はお話しのとおり生徒+生徒の家族全員をひっくるめて愛しているのだなーと思った。
この山田先生の元から良い選手が次々と生まれてくる理由が少しわかった気がした、そんな取材であった。(インタビュー・文 今川知子)









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第1回 高橋大輔
第2回 荒川静香
第3回 岡本治子コーチ
第4回 安藤美姫
第5回 浅田舞&真央姉妹