高橋大輔選手が中学2年生のときから現在にいたるまで、時には厳しく、そして優しく、温かく見守り続けてきた長光歌子コーチ。現在、高橋選手の他に約30名の選手を関西大学で指導する長光コーチに、コーチ観と共に高橋選手の知られざる一面もたっぷり語っていただいた。


スケート靴アイコン現在、世界で金メダルを狙える位置にいる高橋選手を教えていらっしゃるわけですが、コーチとしての夢を教えていただけますか?

長光:夢ねえ・・・。前までは、ほんと「一度は五輪に出場する選手を育ててみたい」という夢がありました。それは高橋くんが出場してくれて、かなってしまったし(笑)これからの夢というのは、やっぱり大輔が世界一になってくれること、そして関大で一緒に滑っている子供たちが夢を持って頑張って滑ってくれることかな。
また大輔にも世界一で終わらないで、周りの人たちにいろいろ経験させてもらったことを伝えて欲しいです。大輔をみて、スケートを始めてくれる子が新たに出てきてくれることも、夢の一つですね。

スケート靴アイコンその大輔くんと初めて出会ったときのことを教えていただけますでしょうか?

長光:初めて出会ったのは、彼が中2のときで、夏休みの終わりに、ちょうど仙台に子供たちを連れて長久保先生と佐野稔先生との合同合宿に行ったときだったと思います。例年だったら、お盆の前後にいくのに、その年だけなぜか8月末に行ったんです。だから大輔との出会いも何かの縁を感じますね。
それで、そのときに大輔が佐野稔先生にプログラムを作ってもらいに、仙台に来ていたのですが、佐野先生がテレビの仕事か何かで3、4日間、どうしても仙台のリンクから離れなければならなくなった。しかし、その佐野先生の帰りを待っていたら、大輔が岡山に帰るまでにプログラムが完成しない。ということで、当時佐野先生と一緒にチームだった長久保先生から急遽頼まれて、私がプログラムを作ることになりました。
そこで、初めて大輔のフリーのプログラムを作り始めたのですが、話を聞いたらショートプログラムも作ってないという。でも一ヶ月後の9月末には中四国のブロック大会がある。結局、大輔が岡山に帰る日までにショートは完成しなかったので、「しょうがないから大阪だと岡山から近いから、またショートを作りに近いうちに大阪まで来てね」となったわけです。はじめのうちは、週末は大阪にきて、プログラムの手直しなどをし、夏や冬休みになると仙台に行くという生活を繰り返していたのですが、やはり中学生ですし、経済的な事情もあって、そんなしょっちゅう岡山から仙台には行けないし、通いきれない。
それで「大阪だけで滑らせてもらいます」ということになって、私のところに来ることになりました。高校一年生のシーズンに入るぐらいからは、試合前は私の家に1~2週間泊まリ、大阪で練習していましたね。

スケート靴アイコン初めて出会ったとき、どのような印象を持ちましたか?

長光:「岡山に高橋くんという、いい子がいるよ」と噂では聞いていたんですが、仙台で出会うまで、実際に彼の滑りを一度も見たことなかったんです。
それで、初めに作ったプログラムの曲が「ワルソー・コンチェルト」だったのですが、彼の滑りをまだ見たことなかったので、振付ける前に「こんな大人っぽい曲、中2の男の子が滑りこなすのは難しいし、無理」と思っていたんです。でも、「ワルソー・コンチェルト」の曲は、私もすごく好きだったので、とりあえず振付けて滑らせてみると、実際びっくりするぐらい滑りも踊りもできたんです。
踊りも手を真似するとかじゃなくて、曲をちゃんと体を使って、内面から表現することができていた。今でもそうなんだけど、表現面で私が「もっと、こう!」と振りを見せると、頭でなく体で理解するようで、すぐに私の思った通りの表現をしてくれた。それがすごく衝撃的でしたね。
このことで、プログラムを作る前から「歳が若いから、こんなプログラムは滑れないだろう」という先入観を持つことはいけないな、と逆に私が教えられましたね。
それで、「絶対この子上手くなる」と思っていたのですが、当時はまだトゥループとサルコーの2種類の3回転ジャンプしか跳べなかったんです。しかし、出会って1ヶ月後のブロックの頃にはルッツまでタタターっと5種類の3回転ジャンプを飛べるようになって・・・。
3ルッツは、ブロックの公式練習中に初めて跳べるようになったようです。一緒に練習している大阪の子たちも、久々に大阪に来たと思ったら、跳べなかった3回転ジャンプをバンバン跳んでいるから、唖然としていましたね(笑)

スケート靴アイコンそれは、すごい!ビックリですね。では大輔くん、性格はどんな少年だったのでしょうか?

長光:まあ、基本的には今とほとんど変わらず、人当たりもよかったのです。が、最初は一つ壁を作ってすごくガードしているなあとは、思いました。始めはなかなか私を入れてくれなかった。それもいつの間にかなくなり、今や口ゲンカもしょっちゅうしていますね(笑)

スケート靴アイコンいまや口ゲンカもできるほど大輔くんと先生は家族のような存在になっていますよね。お二人の会話のやりとりが漫才のようで、聞いてる方は楽しいのですが(笑)

長光:ほんとにね~(笑)。よくする口喧嘩は、内容も忘れるぐらい他愛のないことばかりで、いっぱいありすぎて覚えてないんですけどね。でもたまに向こうは執念深く覚えていて、後でイジイジ言ってきたりするんです(笑)ま、私の性格がいいから、違うか(爆)なんとかやっています。

スケート靴アイコン氷上以外の日常生活でも何か注意されたりするのでしょうか?

長光:一緒に暮らすようになってからは、私は「親御さんから大輔を預かっている」と思っているから、世間一般の常識とかも、口やかましいぐらい注意してきました。海外試合に行ったときなどは特に、「バスへ荷物を積み込むときや荷物を運ぶときは、必ず男がやってあげなさい」とか、「ドアを開けるときは女性より先に行って開け、女性をはじめ皆が通ってからまたドアを閉めるように」とか言いましたね。大輔のいいところはそのときは「はい、はい」とうるさそうに聞いていても、頭の中に残っていて、次のときにはちゃんと実行することですね。

スケート靴アイコン大輔くんが大学入学してから、大輔くんの下宿先が先生のご自宅になった理由は、どういうことからだったのですか?

長光:一番目の理由はやっぱり健康管理の面ですね。私は絶対トリノ五輪に行かせたいと思っていたので、とにかく五輪が終わるまでは、大学に入学することで、今までと学校も変わる。加えて実家を離れて一人で全部するとなると、一気に生活環境が変わることになり、かなり負担になると思ったからです。
二番目の理由はやはり経済的な理由。
やはり一人暮らしとなると、いろいろお金がかかりますから。できるだけ、そういう出費は、抑えた方がいい。まあそれまでも、しょっちゅう泊まりにきて、大輔の部屋もあって特別なことではなかったし、ご両親も「先生に見てもらえるなら、安心」ということで預かることにしました。まあ、やはりバンクーバー終わるまでは、今のままの環境がいいと思います。もう、しょっちゅう友達もうちに遊びにきて、泊まることもあるし、自分の家と同じようになっていますね。

スケート靴アイコン家の中では大輔くんの意外な一面とかありますか?

長光:あの人、A型だからか分からないけど、家の中が散らかっているときはすごいんだけど、片付けだすと夜中であろうと何時間でもかけて、徹底的に片付けていますね。また、インテリアの小物とかディスプレイするのも好きですね。ちょこっと物置きを買ってきたりして、その上に小物を上手く飾っています。
部屋は「ベッドだと、狭くなる」と言って、ベッドを取り払って布団で寝ているのですが、布団カバーの色だとか、じゅうたんの色だとかも、コーディネートしています。以前「部屋のじゅうたんを黒にしてもいいかなあ」と大輔が言ってきたので、一緒にホームセンターに買いに行ったのですが、彼はいろんなサンプルを見て、さんざん悩んで、黒いじゅうたんを買っていました(笑)。
それともう一つ、今でも思うけど、朝出ていくときが大変なのよ。「何を着ていくか」で、鏡の前に立って、どんなに時間のかかることか!(笑)きっとご飯食べ終わってから、服着がえて家を出るまでに、30分はかかっているんじゃないかしら(笑)こっちから見たら、ちょっとしたこと、例えば「このシャツを出した方がいいのか、それとも入れたほうがいいのか」とか、部屋にシートをしいて靴を並べて、「どの靴がいいか」とかね。朝「眠たい」と言うんだったら、その分、寝てたらいいと思うんですけどね。
リンクや学校には電車で行くときもあるのですが、あまりに時間がかかるので、私が「ジャージで行けば」と言うと、「何を言ってるんですか。梅田(大阪の繁華街)を通るのに、変な格好はできません」とか言っていますね(笑)

スケート靴アイコン思い出深いエピソードとかあったら、教えてください。

長光:最初に一緒に海外試合に行ったときに、びっくりしたのがお年寄りに優しいこと。大輔はおじいちゃん、おばあちゃんに育てられたらしいのですが、クロアチアの試合に行ったとき、リンクの前に一つだけ信号がある交差点があって、私は一人だけ先に歩いて横断歩道を渡っていたのだけど、ふと見ると大輔がいない。どうしたのかなあと思ってみたら、横断歩道の真ん中の辺りで、クロアチアのお年寄りの女性の後ろをゆっくり歩いている大輔の姿がありました。それで、そのお年寄りが渡りきるまでずっと後ろについていましたね。そのあとで理由を尋ねると、「いや、おばあちゃん、横断歩道、ちゃんと渡りきるか心配だったから」と言う。それを聞いて、「お年寄りをすごく大事にして、優しいんだな」と思いましたね。

スケート靴アイコントリノ五輪を経て、大輔くんは本当に強くなったと思うのですが、先生から見てその理由は何だと思われますか?

長光:これは、皆さんによく聞かれるのだけど、一つは悪かったときの経験も、今の彼を強くしていると思いますね。やっぱり世界ジュニアを優勝したことから、ジュニアからシニアに上がるのが早く、なかなか上位に食い込めなかった。それプルシェンコとかシニアで活躍している選手に圧倒されてしまった部分もあると思います。それで、世界ジュニアで優勝した鼻っ柱をへし折られて、劣等感も持ったと思うし、焦りなどで、さらに悪循環になったときもあったと思う。しかし、そこが大切な時期だったと思うし、いいタイミングでトリノ五輪に出させてもらえました。トリノが終わってここ2年間は、自分の中の責任感や練習の内容などが、空回りするのではなく、一致するようになりましたね。
そしてニコライとの出会いも良かった。ニコライはやっぱり男として、強く教えてくれます。やっぱり私も含めて女性は、どうしても必要以上に心配したり、迷ったりする部分があると思うんです。
私が「こんなおこがましいこと言ってもいいのか」ということを、ニコライがはっきり強く言ってくれるところはありますね。
 私も大輔は世界一になれると思っていた。以前から「世界一になれるよ」と本人に言っていたのだけれども、本人がなかなか本気に思わなかった。しかし、ニコライと出会って「お前はトップまでいける」と強く言われたら、大輔もその気になり、そこで自分の方針が決まったというところもありましたね。
ま、それも大輔の運の強さかもしれないです。そういう人物と次々と巡り合っていけるということころが・・・。

スケート靴アイコンこれからどんな選手に育ってほしいですか?

長光:やっぱり世界のトップの選手たちは個性のある選手ばかりですが、その中でも強烈な個性を出して欲しいと思います。またその個性がある中でも、曲が変わっても一緒という人が結構いるけれども、大輔には引き出しをたくさん持ってもらいたいですね。今季のSPのヒップホップも良かったと思う。これからもまた違う様々なジャンルのものに挑戦し、大輔にしかできないものをたくさん増やして欲しいですね。
そして、みんなの記憶に残るスケーターとして、フィギュアスケートの選手と言ったら、「○○、○○、○○選手」というように名前が上がるようなスケーターの一人になって欲しいなあと思います。

スケート靴アイコン ご自身、フィギュアスケートを教えることになった、きっかけを教えていただけますか?

長光:私の母方の祖母をはじめ親戚のほとんどが、学校の先生などの教育関係のお仕事をしている人が多く、学校の先生だった祖母の家に遊びいったときに、原稿の直しや宿題の添削などのお手伝いをしていたこと、私自身も国語が好きだったことで、高校生ぐらいまでは、ずっと国語の先生になりたいと思っていました。その反面、小さい頃はスケートがあまり好きでなくて(笑)、どちらかというと父にやらされていたという部分が大きくて、「いつか辞めてやる!」と心の中で思っていました(笑)なので、小さい頃はスケートの先生になりたいという思いは全くなかったんです。
 その後、スケートが好きになり始めたのは大学に入ったぐらいからかな。大学に入ると大体先が見えてくる頃でもあるのですが、そんな時、ちょうど私が大学4年生に上がる年からルール改正で、今のショートプログラムが新しくできることになったのです。
 私は当時フリーよりコンパルソリーが得意で、フリーの得意な若手の選手がどんどん出てきていたので、「このショートプログラムができると、フリーが得意な若手選手にはとても勝てなくなるな」と思ったのと、以前から人に教えたり物を伝えたりすることが好きだったことから、その時コーチになる決断をしました。
 また当時は、スケートのスタイルもどんどん変わっていた時期で、その前はフリーだと決められた分数の曲に、技をこなして滑っているだけでしたが、その頃から、ちょうど男性でも今の振り付けに近いアーティスティックなものに変わりつつある時期になっていました。それで、人より現役を一年早く辞めるかわりに、新しいことをどんどん吸収し、今までと違うスケーターが育てたいという思いもありました。

スケート靴アイコンどういうときにコーチとしてのやりがいを感じましたか?

長光:コーチになってすぐに、最初についてくれた男の子が近藤一朗くんといって、全日本ジュニアで優勝してくれたのです。その当時の日本の男子選手というのは、フリーで踊らないというのが普通でね。それこそ、ジャンプ、スピンの技をこなして、「スケーティングは手のひらを下に向けて真っすぐ伸ばす」みたいな感じでした。しかし、カナダのジョン・カリーやトーラー・クランストンなど、世界で活躍している海外の男子選手をみていると「これからは、男子も踊る時代がくるな」と思い、近藤くんにはいろいろ試行錯誤しながら「カルメン」や「ロミオとジュリエット」など、ストーリー性のある踊るプログラムを作りました。
それで初めは「え、男子なのに、こんなチャラチャラした振りのプログラムを滑るの!?」とか周りにいろいろ言われたけれども、時が経ち、今になってもやっぱり「男子も踊らないといけない」というような、私が考えていた通りのスタイルになったということが嬉しいことですし、その当時から(今のスタイルの指導を)始めていてよかったなと思いますね。

スケート靴アイコン先見の明がおありになったのですね。

長光:そのようになっていますね~。やはり学生時代にジョン・カリーなど、アーティスティックな選手を見たときは鮮烈なイメージがあり、それを生で見せてもらえたということは大きかったと思います。ちょうど私が大学3年生の引退を決めていた年に札幌五輪があったんですよね。それで、祖母が私の成人式のお祝いに「着物を買ってあげる」と言ってくれたのですが、私は「着物はいらないから、札幌五輪を公式練習から見に行かせて欲しい」といって、早くそのお金をいただいて、札幌にいって、連日のように公式練習を見に行っていました。安い旅館に泊まって1ヶ月ぐらい札幌には滞在していたかな!?生で見させてもらえて、すごく楽しかったし、その当時まだフィギュアは女性の競技という感じだったのですが、ジョン・カリーとか見て「ああ、男性ってやっぱりすごいな」と思いましたね。

スケート靴アイコンコーチとしてのむずかしさを感じるときというのはどういうときでしょうか?

長光:むずかしさね~。フィギュアは小さい頃から続けないといけない競技で、一番頑張らないといけない時期が受験と重なりますよね。そこで、スケートもしくは勉強を取るか、両立させるべきかで選択しなければならないときもある。その選手を取り巻く家庭や環境などで、辞めなければいけないときもあります。また、子供たちも思春期にさしかかり、反抗もする。自分の置かれた環境などで本人自身が苦しんでいるときもあります。そして教え子全員が一流選手になれるわけでないではありません。そういった中で、上手くちゃんとした道に乗せてあげることができなかった時とか、家庭の事情などで、どうしても辞めなきゃいけなくなったときとかは、つらいですね。

スケート靴アイコン何かコーチとしてこだわりとかあれば、教えていただけますか?

長光:よくご父兄の人には、「フィギュアもやはりスポーツなんだから、みんなが世界一になれるわけではないけれど、社会に出て、強い子であって欲しい」と説明しています。私は、スケートをすることが実社会に出る前の小さな社会だと思っています。やはりどこの社会に行っても、つらいことも多いと思います。スケートを続けていく上で、いじめたり、いじめられたりするなど、いろいろ理不尽なこともあるでしょう。しかし、そこで負けずに頑張ることのできるたくましい子になって欲しいと、一番に思っています。その上で、いろいろ積み重ねていき、海外の大会に行く子もいるし、国内で何番かになる子もいます。そして、違う社会で活躍する子も出てきますが、そんな教え子たちに「先生、スケートでは、そんなに上位にいかなかったけれども、やっぱりスケートやっていて良かった。あの緊張感を味わえたからこそ、今の私は頑張れる」と言ってくれたときは、一番嬉しいですね。End